「私たちが神の言葉を後回しにして、食卓のことに使えるのはよくありません」使徒6:2
現在の日本のように飽食の時代ですと、「食べ物の恨みは恐ろしい」ということばはピンとこないかもしれませんが、戦乱や凶作でひもじい思いをしている人々にとっては食物の分配のこじれは命取りにもなりかねません。
私の友人で、子どものたくさんいる家庭がありますが、お母さんが平等に盛りつけておいても、食膳のお祈りの間に、一番下の子は少しでも盛りのいいお皿と取り替えてしまい、お祈りの終わる時には何食わぬ顔で、「アーメン」といっていたそうです。
エルサレムの初代教会でも、毎日の配膳のことで苦情が出てきたのです。そして使徒たちも、このことに振り回されそうになりました。
しかし、使徒たちの唯一の使命は、祈りやことばの奉仕です。そこでその奉仕に支障をきたさないように、配膳係を別に選び、その仕事に当たらせることにしました。私たちも優先順位を間違えないようにしましょう。
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