今日の礼拝は、牧師が、50代半ば、老人ホームでチャプレン兼カウンセラーをしていた時の体験談として語られました。
お話は、「快老 いろは川柳」の中からで、この原稿や著書が牧師が知らないところで、方々に配られていて、私も読みましたよというお話が出ることもあるそうです。
「ら・落葉樹、新芽のために散ってゆく」
私は新緑の季節も好きですが、それ以上に紅葉や落葉、さらには木々の葉がすっかり落ちてしまった後の林や山を見るのが好きです。なぜなら、これらの自然の変化やうつろいが、人生で起こる様々な出来事を、暗示したり、教えてくれるからです。
私の働いていた老人ホームには、ある実業家の寄付によって、沢山の桜の木と銀杏の木が植えられていました。そして毎年、美しい新芽と花で私たちを楽しませ、生きていくための喜びと張り合いを与えてくれました。
しかし、その木々の葉も秋には紅葉し、冬の前には散っていきます。その変化を通して、 私たちに老いることと、死ぬことへの備えを教えてくれました。
私は毎日、朝に夕にこれらの並木道をゆっくり観察しながら、チャペルの中にある牧師室兼カウンセラー室に通っていました。季節の変わり目には、カメラで記録もしました。
これらのことを通して、紅葉と落葉から私が学んだことが四つあります。
第一は、新緑の季節の木々の葉の色は、ほとんど同じだけれど、紅葉の時期の木の葉の色は一枚一枚みな違うということです。木の高い所にある葉、低い所の葉、太陽の光がよく当たる所とそうでない所と、みな微妙に違う色をしています。
人生も同じだろうと思います。 子供の頃、 若い頃も個人差はありますが、スタートしたばかりでは、極端な差は生じません。
しかし、八十年、九十年経つと個人差は信じられないくらい広がります。私のいた老人ホームには、六十歳過ぎから百四歳の方まで、百人が生活していました。その中には、九十歳過ぎても心身ともに元気な方もおれば、六十歳を過ぎたばかりだというのに、いかにも「お年寄り」という感じの人もいました。
けれども、一人人の顔を注意深く見ますと、その人でなければ出せない歴史の表情があります。木々の若葉や人の若いころには出せなかった、色や形、しみや穴の違いが、紅葉や老人の顔にはあります。
それゆえ、私も私でなければ生きられない生き方をし、私でなけば出せない紅葉となり、 同じ木に連なりながらも、他の人とはひと味違う色をだす年寄りとなりたいと思います。
第二のことは、木の葉が色づき、そして散ることによって次の芽の成長を促すことです。 秋になり、木の葉が色づく頃ろ、葉柄のつけ根に来年の新芽が出番の用意をします。そして、葉が落ちてしまう頃には、その新芽は肉眼でも見えますし、指先で触っても分かるくらい大きくなっています。
もし、前の木の葉が「私は散りたくない。いつまでもいつまでも、このままでいたい」と頑張っていれば、新芽は出番の用意もでき ず、成長もせず、日の目を見ることもなくなるでしょう。
昔の人も、木の葉に学んで知恵を得たのか、早くから隠居や引退制度があり、子供や孫、番頭がしらを育てたり、やる気を引き出した たりして、その家やその商売が長く続くよう
にしていたようです。
木の葉に教えられる第三のことは、 落ち葉 は、迫りくる冬の寒さから、自分を育て色づかせてくれた木を守るために、その木の根もとに落ちて、布団の役目を果たすことです。
木や草花は、地上に見える部分も大事ですが、それ以上に大切なのが目に見えない根の部分です。剪定をしない木を例にとれば、前後左右に広がった枝先まで、その根は伸びてその木を陰で支えているということです。落ち葉は、その大切な根を守るために、冬がくる前に散って行くのです。
それゆえ、私たちも目だたない所で、子供や孫、後輩や部下を守り、育てるために、早すぎもなく遅すぎすぎもしない、身の引き時を知ることです。
落ち葉に学ぶ第四は、自分を育て、綺麗に装わせてくれた木のために、自らが腐葉土となって、その木の養分となることです。
落ち葉も地面に落ちたばかりの頃は、まだ色も綺麗だし、人々もこれを拾って眺めたり、 押し葉にもしてくれるでしよう。また、木の根の布団の役目をしている時も、まだ形があり、人の目にもふれます。
しかし、木の養分となるためには、自らが姿、形のない腐葉土にならなければならないのです。私たちが後に続く人々を本当に育てるためには、停年後や引退後は、出来るだけ表に出ないようにし、目だたない所で、新芽の伸びるのを助けるようにしたいものです。
「む・昔話、自慢話は老いたるしるし」
私の老人ホームでの肩書はチャプレン兼カウンセラーですが、役所などの出す公の立場と仕事は、カウンセラーです。ですから、毎朝のチャペルでの職員の礼拝と特別老人ホームでの食堂での朝礼のあとは、もっぱらお年寄りの悩み事や相談に耳を傾けることです。
私の考えでは、カウンセラーというのは、自分から話したり、指図することなく、相手の話の聞き役に徹することだと思っています。
相談に見えたり、悩み事を打ち明けに来られた方々は、自分で言葉に出して話している間に、自分の考えがまとまったり、自分のやるべきことに気付いたりするものです。
それを、カウンセラーが、自分の出番だとばかりに、喋り過ぎたり、親切ごかしに色々と指図してしまうと、相手の心はさらに重くなり、問題の解決には進展しないでしよう。
しかし、老人ホームにも色々な方がおられます。 相談事あるからというので、時間の約束をして折角お出でいただいても、一時間経 っても、二時間経っても、ただ自分の昔話を延々と話つづけるような人が結構多いです。
でもはじめから、「昔話したくなるのは老いたるしるし」と思って、目の前におられる人に接すれば、心おだやかにいつまでも、その 方のお話を聞いていられます。
しかし、「私はまだ年寄り扱いはされたく ありません。」「私は実の孫以外に『おばあちゃん。』と呼ばれたくないね。」と言いな がら、昔話、それも自慢話を延々とされると、聞いてる方は大変です。
毎日のように、百人からのお年寄りに接していて気付いたことは、一般的にお年寄りの話には幾つかの特徴があるよう思います。
第一は、昔話をしたがる。
第二は、自分や家族の自慢話を好む。
第三は、回りの人々の悪口をよく言う。
第四は、話がくどくどと堂々巡りになる。
第五は、自分が不当な扱いをされたと思うと恨みつらみを何年でも言いつづける。
第六は、自分の都合いい話は聞こえ、自分に 不利なことは聞こえないという勝手つんぼになる。
またまた私の母を引き合いに出しますが、母は、若い頃から働き者で、気がきき、米問屋を営んでいた祖父からとても可愛がられていたことを自慢します。
同時に、母は自分の父親が遊び人で姉は本ばかり読んでいていて、家のために役だたなかったと批判します。
私の父の所に嫁いで来たときにも、舅や親戚のお年寄りたちにどんなに気にいられたか、 料理が上手だと褒められたと良く自慢します。
それだけなら、まだ聞いていられるのですが、その次にくる言葉は、姑がいかに気のきかない人だったか、料理がどんなに下手だったかとつづくのです。
私のいた老人ホームにも、その半生が小説 以上にドラマチックな人が何人もいました。それらの人の昔話は、本人は気付いていない ようですが、単なる追憶ではなく、やはり自慢話が多いのです。
その自慢話についてくるのが、「自分がいかに苦難の中を乗り越えてきたか、それに比 べると、00さんはどんなに意気地がなく、なにをしても駄目であったか・・・。」という言葉です。
これらの人は、その延長線上でしか物事を考えることができないので、老人ホームで生活している現在でも、「あの人は、まだまだ委員には早すぎる」「その奉仕は彼女には任せられない。」などと言って、自分以外に適任者がいないかのように振る舞います。
「まだ早すぎる」と言われた人は老人ホー ムで十年以上生活している八十歳過ぎの方で、 そう言った人は九十歳過ぎの方でした。
老人ホームは、軽費、特養、養護の違いはありますが、どちらかと言いますと弱い人たちが集団生活をする所です。しかし、しばしば一部の強い人やお金のある人の言動によって、弱い人が泣いたり、時には、ホームを出ていったりすることもあります。
そこで、私は立場上、弱い人を慰め励まし、強い人には率直に忠告します。しかし、強い人は、「私のしていることは正しい。忠告したカウンセラーが間違っている。」と言ったり、「カウンセラーに告げ口をしたのはだれ だ。」と詮索したりするのです。
そして、一年でも、三年でも、ことあるごとに私にも手紙で、いかに自分が不当な仕打ちを受けたかを、訴えつづけます。
こういう人は、自分の言動で、他の人が泣いたり、退園したかに気付くより、自分がないがしろにされた恨みを言いつづける方にエネルギーを使うようです。
「う・美しく年取りましょう浮き浮きと」
現代は若者の時代であり、中高生が流行の先端を切っていると言ってもいいでしょう。
最近では、高校生ぐらいも、少しでも時代遅れになると、「おばさん」とか「おじんさん
」など言われてしまいます。
しかし若者だけが現代人でもなければ、また、若さだけ美しいとも言えません。私のまわりには、若者以上に美しくて魅力的な人がたくさんます。人の美しさは、年齢には左右されないものなのです。
聖書の「箴言」には、「しらがねは光栄の冠」「年寄りの飾りはそのしらが」という言葉があります。世の中には、確かに老醜、老害」という言葉に当てはまるようなもいますが、年を重ねるとともに美しく、気品のある魅力的になる人もいます。
そして、人の美しさというものは、年寄りにかぎらず、ただ顔かたちで評価すべきではなく、その人の心と体からにじみで てくる総合的なものによって評価されるべきです。
たとえば、その話し方、立ち居振る舞い、対人関係におけるユーモアーやセンスの良さ、愛らしさや思いやり・・・といったものです。
聖書の中には「美しい女の慎みがないのは、金の輪が豚の鼻にあるようだ」という言葉もあります。
私のまわりにいる美しい人たちを、いろいろな角度から観察し、個条書きにまとめてみたところ、次のような共通点があることに気がつきました。
第一は、信仰心のある人には、独特な美しさがあります。信仰心と言っても、鯛の頭やキツネ、ヘビを拝むものから、山や滝を崇拝するもの、太陽や月を礼拝するものまでありますが、御利益ばかり求める自己中心的な信仰ではいけません。
第二は、社会や身近な人々によく仕える人、また、自然や動植物を大事にする人です。
最近の一人暮らしのお年寄りの中には、猫や犬を家族のように可愛がり、自分の死後も、この猫や犬が安心して生きられるように、自分の遺産を、猫や犬を引き取って面倒見てくれる人に贈与するよう、遺言書を書く人も多 いそうです。
第三は、悩み事や心配事がないように見える人です。もちろん、悩み事や心配事というのは外からはわかりにくいものです。また、人には言えない苦しみを沢山かかえながらも、明るく振る舞っている人もいます。
しかし、人によっては、映画や小説のなかの悲劇のヒロインになったかのように、会う人ごとに自分の辛さ、苦しさを訴え続ける人もいます。こう言う人の顔がもとはどんなにきれいでも、年とともに醜くゆがんでいくような気がします。
第四は、良く眠れる人はそうでない人より美しいようです。老人ホームのお年寄りは、早寝早起きです。夕食が五時ですから(現在は六時)、その気になれば、随分はやく床につくことができます。
事実、夜は八時、九時に床に入って、朝は四時ごろ起きられる人が大勢います。軽費老人ホームでは毎朝六時から早天祈禱会があり、 讃美歌を皆でうたい、聖書を読み、祈りあうのですが殆どの方が出席しています。
この祈祷会の後、みなでラジオ体操をし、朝食となります。そして午前中は自由時間となり、午後は多くの趣味のクラブ活動があります。また、昼食後に一時間ほど昼寝をとる人もいます。
しかし、どんなに多くの時間、床についていても、もし、悩み事や心配ごとがあったり、他の人とのいさかいなどがあれば熟睡はできません。そういう人は、床から起きても、心も顔も晴々としませんから、お世辞にも美しいとは言えなくなります。
第五は、言葉や行動が穏やかで控えめの人です。この項では、美しく年を取るためは、どうすれば良いかを書いていますが一箇条だけ独立しているのではなく、みな関連があります。
穏やかで控えめの人は、いさかいもなく、心配ごとも少なく、熟睡もできるので、美しくなる条件を満たすことになるわけです。
第六は、いつも気持ちを若くもっている人です。「青春とは心の若さである。信念と希望に満ち、日々新たな活動を続ける限り、青春 永遠にその人ものである」というウルマンの詩があります。
心もからだも美しく年を取り、だれからも愛される人になりたいですね。
「の・のんびりと登ろう老いの坂道を」
同じ人でも、年取ると若い頃より気が短くなったり、頑固になったりする人が多いような気がします。
最初の「い・いらだちは命ちぢめる諸病のもと」のところで触れましたように、私は若い頃から気が短い方でしたから、これ以上、それが進行しないように意識的に注意しているつもりです。
私たち日本人の平均寿命がいかに延びたとはいえ、自分自身が高齢者と呼ばれる年齢になったり、同年配の仲間たちの死の知らせを聞いたりすると、自分の老い先も短いのではないかと心配になります。そして、「今のうちに、あのこと、このことをしておかなければ。」とあせりにも似た気持ちになります。
私も、同年輩の友が亡くなったという知らを受けた時など、ふと気がつくと、昔見た「生きる」という映画の一シーンを思い出して、そこで歌われた「ゴンドラの歌」の冒頭
「いのち短し 恋せよ乙女、
赤き血潮の 消えぬまに」
を口ずさんでいることが度々あります。ということは、心のどこかに私にも死が近づきつつあることを覚えて、多少あせりを感じているのだと思います。
しかし、「急いては事をし損ずる」とか、「急がばまわれ」ということわざもありますから、自分がいつ死ぬのか分からないのに、あまり早くから死の心配をすることはないと思います。
人はどんな金持ちでも、いかなる権力者でも、自分の寿命を自分で決めることはできません。旧約聖書のエゼキエルという書物の中には、「見よ。すべてのいのちはわたしのもの。」とあります。また、新約聖書のルカという人が書いたものの中には、「あなたがたのうちのだれが、心配したからといって、あなたがたのうちだれが、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。こんな小さなことさえできないで、なぜほかのことまで心配するのですか。」 とあります。
それゆえ、神様からいただいている、一人一人ちがう寿命を大事にして、各自自分に合った生き方をしたらいいのです。
私はこの原稿を書きながら、休みの日には家内とともに、山梨の家から行ける山や高原を歩き回りました。今年は瑞牆(みずがき) 山、甲斐駒ヶ岳の神蛇滝 (じんじゃたき)まで岩登りをしたり、大菩薩峠や尾瀬ヶ原を散策したりしました。前の年は夜叉神峠(やしゃじんとうげ)や櫛形山、甘利山(あまりやま)に登ったり、八ヶ岳や茅ケ岳(かやがたけ) などの裾野を歩き回りました。
それらの行く先々で、必ず幾つかのグループや登山者と出会います。その中で、一番ゆっくり歩くのが私と家内です。私は中学、高校生時代から山歩きをしたことがありますが家内は全くの初心者ですから、家内の速度と疲れ具合に合わせて歩きます。そして、上り路でも息がはずまない程度の遅い歩みにし、途中でほとんど立ち止まらないようにしています。
登り始めの頃は、そいう私たちを多くの人たちが勢いよく追い越して行きます。「お先に失礼します。どうぞ、ゆっくりお出でくだ さい。」などと、親切とも、憐れみとも思えるような声をかけて、先へ先へと急いで行きます。
しかし、三十分もしないうちに、私たちがそれらの人々に追いついてしまうのです。なぜなら、初めに早足で登り出した人たちは、呼吸も足もまだ馴れていませんから、すぐに苦しくなってしまい、腰を下ろして休んでしまうのです。一度、腰を下ろして休んでしまうと、その次に歩きだすのが大変です。
「のんびり登ろう」とは、少しニュアンスが違いますが、旧約聖書の箴言という書物の中には、
「急いで得た富は減り、少しづつたくわえる者はそれを増すことができる」と記されています。
私たちの人生もこれと同じように、「急いては事を仕損ずる」になりかねません。ですから、他の人と競争しようとしたり、無理をしてまで他人に調子を合わせようとしないことです。
これからは、私も今までのような、せっかちな生き方ではなく、自分の体力、自分の知力、自分の経済力に合った、私らしい生き方をしたいと願っています。
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