藤原孝行牧師が献身し牧師になり、現在に至るまでの生涯をキリスト教刊行物に寄稿しています。その寄稿文を2回に分けてblogに収録します。
神主の家系から牧師に
私の生家は、県重要指定文化財の石鳥居と市指定文化財天然記念物の樹齢千年を越す大欅のある神社の傍らにあります。代々神主を勤める家系でした。
私の家は、目を怪我したために神主を退いた人が隠居した家とのことです。
私が生まれた頃は、神主の家に養子に入った方が神職を勤めていて、私の名前もその方がつけられたとのことです。
私の少年時代
神社には春夏秋冬いろいろな祭りがありますが、私の家が神主の家系ということで、私は祭りが大好きで、近所の子供たちの先頭に立って、神社の境内で我が物顔に振舞っていました。
小学校低学年の頃、誰もいないのを見て、神主しか入れない神殿に忍び込み、拝殿の奥の彫刻された扉を開けて見ました。その前で神主がいつもうやうやしく拝んでいたので、そこに何が祭ってあるのか気になっていたからです。
この神社の御神体がそこにあるのだと思って扉を開けたところ、薄暗い扉の中に、何処かで見たような顔がありました。それは小さな鏡に写っていたいた私の顔でした。御神体は丸い鏡だけでした。
祖父の死と不眠症
そのころ私の祖父が六十五歳で死にました。私は長男ということで死にゆく祖父の枕辺に坐らされ、その手を息を引き取るまで握らされていました。さらに祖父の墓の穴掘りにも立ち会わされ、土葬の祖父の棺に最初に土もかけなければなりませんでした。
それ以来、夜、床について眠ろうとすると、その墓場の光景が目にちらついて、怖くて眠れませんでした。私の不眠症は私がクリスチャンになるまで続きました。
父の死と自殺願望
私が高校二年の時、父は食道癌で四十八歳で死にました。父は生前、皆から信頼されて多くの団体の責任者や会計係をさせられていました。
ところが父の死後、近所の大人たちや色々の団体の人々が、様々な理由をつけて私の家の境界線上の土地や立木、お金をとろうとしたのです。
その都度、私は弟たちと山の図面をもったり、役場や登記所に行ったりして、これらを守ろうとしました。そのうちに、「私も大人になったら、この人たちのように欲深くなるのだろうか。」と思い、大人になるのが怖くなりました。そして罪を犯さず、清らかな今のうちに死んでしまいたいと切望するようになりました。
そして高校の文芸誌「山脈」に遺言めいたものを投稿したり、父が農事班長の頃預かっていた劇薬のホリドールを持ち出して、私の机の上に置き、ハンカチを開けておき、いつでも死ねる用意をしました。
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