ギリシャ語によるヨハネ福音書1章13節、14節です。
意味を入力していて、ギリシャ語の読み方が分からずいらいらするばかりなので、今回はフリガナを振ってみました。
礼拝では、声を出してギリシャ語を読んでいる訳ですから。
1 13 (1)οἳ (4)οὐκ (3)ἐξ (2)αἱμάτων (8)οὐδὲ (7)ἐκ (6)θελήματος (5)σαρκὸς (12)οὐδὲ
オイ ウーク エクス アイマトォゥン ウデ エク セレィマトス サルコス ウデ
(1)彼らは (4)なく(3)よってでは(2)血に (8)でもなく (7)よって (6)欲に (5)肉の (12)でもなく
(11)ἐκ (10)θελήματος (9)ἀνδρὸς (13)ἀλλ᾽ (15)ἐκ (14)θεοῦ (16)ἐγεννήθησαν.
エク セレィマトス アンドロス アッル エク ゼウー エデンネィセィサン
(11)よって (10)欲に (9)人の (13)ただ (15)よって (14)神に (16)生まれたのである
1 14 (1)Καὶ ὁ (2)λόγος (3)σὰρξ (4)ἐγένετο (5)καὶ (8)ἐσκήνωσεν (7)ἐν (6)ἡμῖν,
カイ オ ロゴス サルクス エゲネト カイ エスケィノゥセン エン エィミン
(1) そして (2)ことばは (3)肉と (4)なった (5)そして (8)宿った (7)うちに (6)私達の
(9)καὶ (12)ἐθεασάμεθα τὴν (11)δόξαν (10)αὐτοῦ, (17)δόξαν (16)ὡς (15)μονογενοῦς
カイ エセアサメサ ティェイン ドクサン アウトゥー ドクサン オゥス モノゲヌース
(9)そして (12) 私達は見た (11)栄光を (10)彼の (17)栄光で (16) としての (15)独り子
(14)παρὰ (13)πατρός, (21)πλήρης (18)χάριτος (19)καὶ (20)ἀληθείας.
バラ バトロス プレィレィス カリトス カイ アレィセィアス
(14)の (13)(それは)父 (21)満ちていた (18)恵み (19)と (20)まこと
ギリシャ語基本単語 ἔ から始まる単語です。
ἐγω 私 ego エゴ
ἔθνος 民族 ethnic, ethnology エスニック、人類学
ἔθος 習慣、慣例 ethos, eth-ics エートス、倫理学
εἰμί ~である
εἰρήνη 平和
ἐκκλησία 教会、集会 ecclesia エクレシア
Ἔλλην ギリシア Hellenism ヘレニズム
ἐπιστολή 手紙 epistle 書簡
ἐργάτης 働く人 ergo-nomic エルゴノミック(キーボード)
ἔργον 業、仕事、作品 ergo-nomic エルゴノミック(キーボード)
ἔρχομαι 来る
ἔσχατος 終わり eschato-logy 終末論
εὐαγγέλιζω 福音を宣べ伝える evangelion エヴァンゲリオン
εὐαγγέλιον 福音 evangelion エヴァンゲリオン
εὐσέβια 敬虔 Eusebios エウセビオス(敬虔な者)
εὐχαριστέω 感謝する eucharist ユーカリスト(聖餐)
ἔχω 持つ
6月28日の説教は、使徒の働き3章1-9節からでした。神殿に上ったペトロとヨハネが目の不自由な人を癒し、イエス・キリストの名によって立ち上がらせ、歩けるようにしたというところです。今の世の中では、誰もが自分の成果を誇り、中には、牧師ですら、洗礼を授けたことを自慢気に話す方もいるそうで、私が上げた手柄を主張する風潮が絶えません。しかし、大事なのは、それが私の力によるものではなく、イエス・キリストの名によって聖霊が働いたものであることを覚えなければならないというお話でした。要旨が正確ではないでしょうから、ぜひ、Library2020のページからリンクしているYoutubeの動画で実際の牧師の説教をお聞きください。
この説教から、私が思い至ったのが、ギリシャ語で私を意味する、ἐγω、が ego= エゴに通じていることでした。
ἐγωについて、Thayerギリシャ語辞典を引いてみました。
最初の例に上げられているのが、
マタイ3章11節
私は、あなたがたが悔い改めるために、水のバプテスマを授けていますが、私のあとから来られる方は、私よりもさらに力のある方です。私はその方のはきものを脱がせてあげる値うちもありません。その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。
なるほど、私が多いです。ヨハネが誇っている訳ではなさそうですが。
民族を表す単語としてἔθνοςが出てきました。前に出てきたγένοςと綴りが似ています。 こちらの方は、ethnic, ethnology エスニック、人類学と関連していて、エスニック料理好きな私には、いい響きです。どう違うのでしょうか。
また、Thayerギリシャ語辞典を引いてみました。
やはり、ἔθνοςとはイメージが違うようです。こちらの方は、神から造られたすべての国の人々(使徒17:26)神の国の人を表すもの(マタイ21:43、使徒10:35)、ローマ人を指す異邦人(マタイ10:25、ルカ22:25)、ユダヤ国民(ルカ23:2、ヨハネ11:48)、神の恵みを受けるべき異邦人(ロマ書3:29,9:24外多数)、そして、パウロが伝道した異邦人。
γένοςが「子孫」「一族」「家族」「(イスラエル)民族」「種族」「祖先」といった原初的つながりに重きがおかれているのに対し、国というものを介した民族という意味合いが色濃く出てきているように感じられます。そして、すべての国の人々が神から造られた者であり、そこにはローマ人を含む異邦人も包摂され、神の国にはユダヤ人のみならず異邦人をも、すべての国々の人々が入れるものであること。ユダヤ人に止まらない世界中の民族を表すグローバルなものを指し、すべての人々が神の恵みを受けることができる。キリスト教徒の始まりともいえるような意味合いを持っているようにも感じました。
これは、あくまでも、投稿者の感想であり、教会とは何の関係もありません。見当違いは、節にご容赦ください。
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